何がなんでもローンを通してください!!!!
今回は、ずいぶん過去の話ではありますが、私の体験談である、住宅購入の話にしようかなと思います。
「何としてでも、ローンを通してくれないと困るんです!!!」
なんて営業マンに泣きついたこともあったなぁ。
あの時に「うちにもう少し余裕ができたら、またチャレンジしてみよう」と思うことができていたら・・・。
無理に家を買わないでいたら・・。
と思うこともありつつ、35年のローン返済中の我が家です。
住宅ローンがなかったら、かなり楽に暮らせていたと思います・・・。
あの頃は住宅ローン・住宅購入に特化したFP無料相談
第三者の目で、「ライフプラン」を練ってもらいたかった!!!
年収の7倍近いローンを組んだ、住宅ローンの実体験
住宅ローンに関することを調べている方には常識な話で申し訳ない・・・。
住宅ローンを組む際、「返せる額」と「借りれる額」とあるってご存知ですか?
マイホームを買った当時の私は
「私だって働いているし、二人分の給料ならどうにか返せるでしょ!!!」なんて言い切り、重要な選択で失敗を犯しています。
ご近所づきあいがわりと良好な方なので、ここに住むことになったこと自体に後悔はしていないのですが・・・。
今回はそれについてのお話です。
当時住んでいたのは家賃が格安な公団住宅
さかのぼること13年前。
長男が生まれたばかりで賃貸暮らし。
当時は私も正社員で働いていたので産休、育休取得でお休み中。
生まれる子供のために、少しでも経済的に楽なように。
と、家賃の安い公団に引っ越したばかりでした。
実家も近くなるため、一石二鳥かな?
と思っての判断でした。
生後10ヶ月に職場復帰することがすでに決まっていたので、そのまま公団暮らしなら金銭的には余裕があったはずです。
が、当時の私は不満がいっぱい。
- 同じ年頃のママ&子どもがいない
- それ故、話し相手がいない
- 昔栄えたベッドタウンで、今は居住年齢層が相当高め
- 駐車場は一家に1台しか与えられず、徒歩15分の場所に月極駐車場を借りて、毎日ベビーカーを押して駐車場へ往復する日々・・・。
- スーパーは車で行く距離にしかない
- 近いはずの実家。親はまだ現役で働いているため、ほぼ助けはなし。
- 里帰り出産ももちろんなし。
- 3階に住んでいたので、階段ののぼりおりに子ども抱えて・・が辛い。
- 家賃は安いけど隙間風がひどい、隣の家のおじさんの酔った声が毎晩うるさい
- 隣のおじさんはベランダに空き缶を投げて捨てるのが習慣のようで、その音が苦痛
- 隙間から虫が入り放題、洗面、トイレ、古くて汚い
- 昔からの公団の作りで、間取りが使いづらい、古い。
- 網戸がないので自腹で取り付け
こういったことが耐えきれなくなってきたころ、
「マイホームを購入しませんか?」
という、ハウスメーカーの天使(いや悪魔?)の誘いが!!
当初、妹家族の元へやってきた話だったんですが、気がついたら私も商談の席に座っていました。
ハウスメーカーとの出会い。買いたい意欲が最高潮に。
名のしれたハウスメーカー。
地震に対しての備えとしても十分でした。
まだ25歳だった私たちをあしらいもせず、しっかり相談にのってくれました。
育休中の私は、なんせ時間がたんまりあります。
今と違い、インターネットがないのでいただいたカタログを見る。
カタログを見ることでしか研究はできませんが、「マイホームを持つかもしれない?!」と思ったら、今まで興味がなく捨ててきたマイホームの新聞やチラシですら見るのが楽しくなりました。
「この家いいな〜。マンションもありなのか?」
なんて、楽しみまくって、マオホームを買いたい意欲は最高潮に!
マイホームが欲しい!どうしても欲しい!!
こんな不満だらけの家から早く引っ越したい!!!
と、毎日わくわくするようになりました。
ハウスメーカーが持ってきたのは、
「土地を買って、ここへ建てませんか?」
という、いわゆる「注文住宅」の案件で、あーでもないこーでもないと練っていると、総額5,000万円を超える家になってしまうことに・・・。
「もっと安く家が欲しい!!!」
安くしようと思うと、土地を小さくするのが手っ取り早く・・・。
その時代の注文住宅は土地が今よりも大きめに区切られていることが多く、ハウスメーカーも「大きく買った土地を分割して多くの世帯に売りたい」と思っていたようで、こちらが指定するような大きさで分割してもらうことはとてもできなかったので諦めていました。
さすがにその金額は無理だわ。
頭金だってろくにないんだし・・・。
でも、いい土地だったのに!
なぜ注文住宅なのよ!!!
と、一度は泣く泣く断念・・・。
楽しみにしていたのに(勝手に)。
別に注文住宅じゃなくていいのに。
だったらもう他の土地に買っちゃう???
すぐ住めるような建て売りはないの?
と、何軒か見て回りました。
なかば「どこでもいいから買えたらいいんだ」というような意識に変わってきて、今思えば危険な精神状態だったと思います。
高速道路の真下に建ってる家でもいい。
小学校がとんでもなく遠いけどそれでもいい・・・。
治安が良くないかもしれないけど、別に事件なんてないし大丈夫じゃない?
よく知らないメーカーだけど、買える金額ならそれでもいい・・。
なんて心境に・・・。
危険すぎます・・。
そんな危険な状態のところへ、最初に話を持ちかけてきたハウスメーカーからのアクションが。
横並びの4つの土地を分譲で売ろうとしていたものを、分割して6軒の建売住宅として売り出します。
よかったら「最初に好きな家を選べますがいかがでしょうか?」
と話をくださいました。
最終的にそれが今の家です。
以前話したときよりも土地が小さくなること。
さらに建売住宅になることから、建築に使う材料が一気に仕入れることができるため、値段はぐっと下がりました。
提示されたのは約4,000万円。
建売なので、完成したら即住むことができる。
カーテンは一階部分はついている状態。
照明はすべての部屋についていました。
駐車場は2台。
小学校は割と近め。
そして、建売で6軒売り出すので、妹家族も一緒に同時に買えば、横並びで二軒買える!
新興住宅地なので、同じ年頃の家族がどんどん住み始めることは間違いなし。
ここまできて、買わない理由はない!!!
もう、買わないなんて考えられない・・・。
問題はローンでした。
年収の7倍近いローンを組むことに
住宅ローンを組んでこの家を買いたい!!
どうしても買いたい!!
そう決めた当時の夫の収入は手取りで18万円・・・。
幸いなことに他のローンはなかったのですが、ボーナスも20万くらいしかもらえない会社でした。
年収300万にいかないくらいなのに、ローンが4,000万?!
10倍以上ですよね・・・。
ありえません。
銀行の事前審査も通らなかったです。
さすがに無理。
夫の母に相談し、使われていなかった亡くなったお父様の土地を売却してもらい(ここに家を建てる。というのはとある事情があり、無理でした)、その一部のお金と私たちのなけなしのお金をはたき、頭金としました。
それで残った金額、3,150万円の住宅ローンの審査も夫一人の馬力では審査が通らない!!
なんでよ!!!
焦りマックスの私。
正社員で働いている私の名義も入れてください!!!
無理やり、ローンを通すことになりました。
ここまでくると「一度考え直す」なんていう考えは私には1ミリもなかったです。
横並びで購入する妹の方は、先にローンが通っていたし、夫の職場はサービス残業も多く、サービス出勤も多く、さらにローンも組めないだと??!
正直イライラしていたと思います。
「私の名前を連ねればローンが通るなら、それで通してください。仕事はやめるつもりありませんので」
そのくらいのことを、しゃーしゃーと言いきった自分が憎いわ・・・。
夫は何度か止めたらしいのですが、まったく記憶にありません。
あーこわいこわい。
これで私は一生、働き続けることが確定したのです。
その時の夫婦の年収は合わせて500万ほど。
年収の7倍近い住宅ローンを背負うことになりました。
無謀な住宅ローンを組んでから13年経過して。
銀行の審査なんて、どうにでも通ります。
どうしても組めないこともあるでしょうが(他のローンがあると厳しいです)、他にローンがなかった我が家は夫と私の連帯債務にすることで、無謀なローンが通ってしまいました。
「無理なく返せる金額」を無視し、「ローンを組める金額」にしたことで、毎月の負担は思ったよりも大きくなりました。
ちょっといいところの賃貸に住むくらいの金額だから大丈夫だろう。
と思おうとしましたが、10年を超えるとあちこちにメンテナンスが必要となり、正直苦しいです。
3,150万あったローンは今現在は2,200万まで減っています。
が、私が60歳になるまで続きます。
そのころまで私はずっと働かなくてはいけないのです。
家を買った時から、子どもの人数は増えてはいませんか?
そのときに赤ちゃんだった長男の下に妹が生まれ、家族構成は変わりました。
子どもの人数が変われば、性別も違えば、必要な間取りも違うし教育資金も変わってきます。
働き手の健康状態は変わらないでしょうか?
家を買えば、団信に入ることが多いので生命保険は不要でしょうか?
連帯債務にした我が家はそうはいかず、
夫の万が一、私の万が一にも備える必要があり、おのずと保険も多くなっています。
その後、私の甲状腺の病が発覚。
現在も治療しながら働いています。
休みたくても休めないのです。
本当にずーっと働けますか?
娘が幼い頃に難病が発覚し、私は一時期、正社員で働くことができなくなりました。
長期入院を繰り返したため、正社員を退職した退職金200万はあっというまに生活費の補填で消えました。
そもそも、私の収入がなければ年間100万の赤字の家計なのです。
持病を持つことになった娘にずっとそばにいてあげたかったけど、私が働かないとこの家は払っていけないのです。
その時に初めて「家を売って賃貸へ戻りたい、そして働かずして子どものそばにいたい」と思いました。
ですが、家を売って引っ越すことは、息子や娘の友達と別れることになりできない。
幸い、お金の相談をできる友達もおり(貸し借りではないです)、ここまできたら売るよりも払う方がいいんじゃないか。
という答えに行き着き、売却を検討した時期は通り過ぎました。
そして今。
難病のある娘も再発したりしなかったりをしながらも小学四年生となっており、「ママとずっと一緒にいたい!」と言うことは少なくなりました。
「私は子どもとずっと一緒にいるお母さんになってあげたい」
と娘が言うと、心がちくっと痛みます。
後悔はしていないものの、あのとき、もう少し身の丈にあった家を選んでいたら、
せめて息子が小学生になるまでの6年間で頭金を用意してから購入していたら・・・。
もう少しさみしい思いはさせずに済んだのだろうか・・・。
赤ちゃんだった息子は中1になっています。
教育資金にバンバン使うまであと五年。
こちらに休息はないのです・・・。
その後転職した夫の収入はもう18万ではなくなり25万ほどですが、私が働かないと赤字なのは相変わらず。
私が働いたら返済ができる。
それが現状です。
住宅ローン。
早く返し終わりたいな・・・。
と思うばかりです。
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