今日、突然思い出したことなんですけどね。
今でこそ、ちゃきちゃきでおせっかいで、いつも知らない誰かと話している私ですが(友達に「いつも知らん人と意気投合してる笑」って言われる)、昔はぜんぜん!真反対の子どもだったようなんです。
『亀のようなのろさ』
が特徴の子どもだった私。
毎日、階段の途中で立ち止まっては泣き、元気な妹に置いて行かれては泣き、手提げを落としては泣き、立ち止まっては泣く。
優しくされても泣き、強く言われても泣く。
そんな子どもだったようで。
想像しただけでも疲れるわ。
車の運転ができない母は、私と妹(歳がめちゃくちゃ近い)のチビな二人を抱えて電車やバスに乗るのが苦痛で苦痛で・・・。
だったらしいです。
泣くのはいい。
二人泣いてもいい。
『あの二人をあの母親はどうあやすんだろう』と見られている周りの視線が痛かった。
とよく言っていました。
二人抱えてるのに一人が泣きまくるのね・・・。
申し訳ないわ^^;
そんな『亀のようなのろさで、泣き虫な私』が、大きく変わった出来事はアレだろうな。
と、今でもたまーに思い出すんですよね。
会社で上司と雑談しているときに、「どんな家庭で育ったか」という話になり、あーうちの母はこういう人でしたねぇ。
と話してるなかで、そのことを思い出しました。
誰も興味ないかも?
ですが、思い出ついでに書いておこうかな〜。
泣いてばかりの私を変えたのは、『自信』でした
私が幼稚園年長さんのときかな?
担任の先生はベテランの女の先生で、とにかく恐ろしい・・そう。
『恐ろしい』
という表現がピッタリの先生でした。
ガタイも大きく、声もでかい。
今思い返せば、完璧主義の先生かな?
小学生になる前に、さまざまなことを仕上げなくてはいけない。
という年長さんの担任のプレッシャーもあったのかもしれませんが、とにかく怖かった。
エンドレスに泣く私に、先生はほとほと嫌気がさしていたと思いますが、私の中での先生はとにかく「怒っている」印象が強く、多分叱られまくってました(苦笑)。
幼稚園の入り口で泣き、妹の顔を見ては泣き、給食が食べられなくて泣く。
当時は給食は「完食」システムだし、コップに詰め込まれたりして本当に泣きまくった覚えあり(汗)。
バッグを落として泣き、移動しては泣く。
外遊びも泣くしできない。
そりゃ先生も大変よね・・・。
そんなとき、母に担任の先生から連絡があったそうです。
「〇〇さん(私のこと)が、次の劇でシンデレラのいじわるお姉さんの役をやるって立候補をしたんです。
普段の〇〇さん(私)の様子からしたら無理です。
やりとげられないと思います」
と。
要するに「辞退をうながしてくれ」という話だと思うのですが、母の返事はこうでした。
「本人がやると言っているならやらせてください」
そんな大人同士のやりとりを知らない私は、当日、めちゃくちゃいじわるなシンデレラのお姉さんをやりきったのを、はっきりと覚えているんです。
シンデレラをコテンパンにしてやった記憶がハッキリと残っています(ここで開花か?)。
この話を母から聞いたのはずいぶん大人になってから。
私が子どもを産んでからかもしれないくらいあとの話ですが、これってすごいな。
と思ったんですよね。
先生からの連絡で、「役を降りてほしい」ニュアンスで言われたら・・・。
私ならどうするだろう。
普段から娘の行動が人一倍遅く、ほぼ一日中泣いているのも母である自分は百も二百もわかっている。
その辺の木の役くらいのが妥当じゃないのか??
なぜわざわざ立候補したんだろう。
今の配役と違って、昔は一人で一役やることが多く、シンデレラの一番上のお姉さん役は一人しかいないのに、泣いて固まったらどうする??
本当にできるのか。
やめたほうがいいんじゃないのか。
ちゃんとやりきれるのか、本人に聞いてみようか・・・。
くらいは思いそうです。
ですが、母は何も言わなかったんですよね。
ふつーーうに劇を見に来ていたし、劇の前の後も何も言われませんでした。
うまかった!っていう褒めの言葉はもらったと思うけど、できないと思ったなどの言葉はなかったなぁ。
「本当にできるの?」
と、事前に言われていたら、緊張でできなかったかもしれません。
心配の言葉は、時に不安につながる言葉になってしまう。
それがなかったことがとてもよかったと思うんです。
あのときに何かが変わった!と今でも覚えています。
私、できる!!!
そういう自信が、ちょっとずつ私を「おせっかいではちゃめちゃな」私に変えていったんだろうなぁ。
母ってすごいな。
私もそういう母親になれているだろうか。
うーん。
なれていないなぁ。
コメント